Essay on Music Experience
2002.04.
橋本努
ニューヨークではとにかく公立図書館にお世話になった。とりわけ、CDの貸し出しから、多くの恩恵を受けることになった。CDを借りることができて、しかもそれを私的にダビングして構わないとなると、図書館の音楽資源を利用しないわけにはいかない。地元の図書館には一千枚程度のCDがあったにすぎないが、他の隣接区域の公立図書館や、リンカーン・センターのパフォーミング・アート図書館などを含めると、ニューヨーク市では実に数万枚のCDを借りることができる。しかもそれらのCDはどれもすぐれたものばかりだ。この恩恵を受けて、音楽に対する私のこれまでの態度は大きく変容した。とりわけ二〇〇二年一月から約三か月間のあいだは、二千枚以上のCDを新たに聴くという異常な興奮状態が続いた。
地元の公立図書館は以前から利用していたが、他の公立図書館が比較にならないほど魅力的であるという事実を知ったのは、ずいぶん後になってからのことである。とりわけフラッシングというアジア系の人々が多く暮らす街にある公立図書館は、さまざまな点において充実した巨大図書館であった。また、リンカーン・センターにあるパフォーミング・アート図書館は、ニューヨークの芸術活動とその研究を支えるための、まさに中心的な役割を果たす図書館であることを知った。これらの図書館との出会いは、私にとって衝撃的であった。ニューヨークにおける文化活動の底力は、図書館と美術館の自由な利用にある。およそニューヨークのような大都市において、言語的コミュニケーションの不自由さを克服して人々を再接合していくのは、音楽や映像といった芸術メディアである。図書館のCD利用によって私は、多文化都市を生き生きと生きるための、いわば「生命の襞」を生成していったように思う。以下に、図書館の音楽資源とその利用体験について、記しておきたい。
ニューヨークではどの公立図書館でも、一度に一〇枚のCDを一週間借りることができるようである。ジャンルは、クラシック、ジャズ、ポップス、ロック、民族音楽など多岐にわたり、また多様な民族の住民に対応するよう、さまざまな国で出版されたCDがそろっている。私の暮らす地区の図書館は、アメリカのポップスやジャズ音楽のほかに、ギリシア系、ヒスパニック系、アラブ系などの民族に対応した多様なCDがそろえられていた。他の地域ではこれが、中国系、韓国系、ロシア系、インド系、などのCDとなる。またある地域では、住民の多くが黒人であることから、ジャズやアダルト・コンテンポラリーなどの、黒人文化を代表するCDがそろえられていた。どの図書館もなかなか洗練されたCDを揃えていて、それぞれの地域に特有の傾向がみられる。こうしてニューヨークでは、図書館とその地域の関係を探ることそれ自体が、異文化体験としての楽しみを与えてくれた。
隣接する地区の様々な図書館を利用するようになってから約一か月後のこと、私はフラッシングにある公立図書館を訪れた。ここは他の地域図書館と違って、通常の一〇倍以上の規模がある。CDコレクションも群を抜いてすばらしい。民族音楽だけでも、数千枚のコレクションがある。このコレクションの存在によって私は、とにかく「世界中の民族音楽をすべて摂取したい」という焦燥に刈られた。例えばアフリカの音楽といっても、私はこれまで、どの音楽がどの民族や地域のものであるかについて、まったく理解を持っていなかった。しかしアフリカは広大であり、黒人音楽といってもさまざまな歴史と発展があるはずである。そこで私は、何としてでも、アフリカの音楽を国別・民族別に聴き分けるようになりたいと思いはじめた。アフリカの西海岸と東海岸ではどう異なるのか。イスラム音楽の影響はどのようなものか。ポリフォニーはどの地域で発達したのか。セネガルの人々はなぜ音楽的にすぐれているのか。などなど、さまざまな疑問がわいてきた。
アフリカだけでなく、南アメリカ大陸における民族音楽の多様性、インドから中近東にかけてのイスラム音楽の多様性、東南アジアにおける音楽の文化的伝承の分布、インドネシアとりわけバリ島における音楽の多様性、などにも興味がわいてきた。また日本の民族音楽に関しても、これまで知らなかったことをいろいろと発見した。アイヌ民族の音楽や語り、奄美の島歌、能の音楽、神道の音楽など、日本の音楽文化の多様性とその特殊性が見えてきた。そのほかにもベトナムと日本の音楽の類似性だとか、台湾少数民族におけるアボリジニ音楽の影響だとか、中国仏教音楽とチベット仏教音楽の比較だとか、韓国のパンゾリがまさに中国と日本の音楽の中間形態として位置づけられることだとか、いろいろな発見があった。こうして私は、週に二回はフラッシングの図書館に通って、音楽に沈潜することにした。そうした日々が約二か月間続くことになった。
同時に他方では、私は友人の小宮氏から、リンカーン・センターにあるパフォーミング・アート図書館の存在を教えてもらった。この図書館はつい最近まで、改築のために分散して存在していたようだが、新規にオープンしてからは、とても利用価値の高い図書館として蘇ったという。例えば楽譜のコレクション。各国語で書かれた楽譜がたくさん収集されている。日本で出版された現代音楽の楽譜もある。そうした楽譜には、要所要所に日本語でテクニカルな演奏技術が記されており、日本語を理解しなければ解読できない。しかしそうした楽譜さえも、この図書館は縦横無尽に集めているようだ。また、ダンスやバレエやミュージカルに関する写真集や研究書も充実しており、さらに、パフォーマンスに関する研究を支援するための特別な研究施設まで用意してある。ビデオやCDも充実しており、ニューヨーク市に居住している人であれば、市民権を持っていなくても、誰もがこの図書館を利用することができる。ニューヨークではこうして、パフォーマンスに関する文化資源が公共的に開放されており、人々は世界最高峰のアーティストたちを正当に評価するという豊かな文化鑑賞力を磨いていくことができるのだ。それだけではない。新しい独創的なパフォーマンスが生まれる背景には、パフォーマンス文化の歴史と権威を自由に継承していくという文化のダイナミズムがある。まさにすぐれた公共図書館の支えによって、ニューヨークの芸術家たちは最高の創造的環境を与えられている。私はといえば、これだけの芸術資源にアクセスしたのであるから、いずれ音楽社会学のようなものを研究してみたい、という気にさせられた。
例えば、なぜ旧社会主義圏の音楽はすばらしいのかについての音楽社会学。また韓国やアイルランドやペルーにおける抑圧民の音楽はなぜすばらしいのかについての研究。あるいは、一九五〇年代までに作られた行進曲の社会学。なぜ軍隊的な行進というものに人々は魅力を感じたのだろうか。その規律訓練権力はいかに作動していたのだろうか。社会主義諸国だけでなく、資本主義諸国においても、パレードや、運動会や、その他の行事において行進曲が頻繁に用いられた。全体主義の動力をとくカギは、行進曲の解明にあるのではないだろうか。アメリカでもマッカーシズムの時代に最もダイナミックな行進曲が開化した。たんなる規律訓練権力の組織化ではなく、そのリズムのなかで「遊び」の余地が生まれ、その遊びのリズムにふんぞり返ってしまうような感情の転倒が、アメリカの行進曲において生じている。行進を組織化する官僚たちの喜びというものが、倒錯しつつ舞い上がっていく。そして自己を失い、理性を失い、謳歌するという「誇大妄想」のみを残して、それが自尊心の中枢に据えかえられていくという虚妄の恐ろしさがある。ショスタコーヴィッチやマーラーの交響曲の構成も、軍隊や権威主義社会というテーマを表現している。なぜそうした表現が美しく、また人々を捕らえるのだろうか。こうした問題について、探求してみたいと思うようになった。
パフォーミング・アート図書館の蔵書ならぬ蔵CDに圧倒された私は、それ以来、夢中になってCDを聴きはじめた。フラッシングの図書館では約一万枚弱のCDがあるのに対して、リンカーン・センターの図書館には約3万枚のCDがある。とにかく私は、あらゆるCDを試聴したいという欲望に飲み込まれてしまった。ほとんど毎日のようにどこかの図書館に通って、まずCDを一〇枚借りる。そしてそれらを試聴コーナーでじっくり聴く。気に入ったCDは持ち帰る。気に入らなかったCDは返却して別のCDを借りる。最初はジャズから聴き漁りはじめて、民族音楽、クラシック、アヴァンギャルドなど、すべての分野に触手をのばしていった。とにかく図書館でのCD試聴は興奮の連続である。世界にはこんな音楽があったのか、という新鮮な驚きがある。そしてそのうちにいろいろなことが分かってきた。例えば、一九五〇年代のニューヨークにおけるジャズ・シーンはいかなるものであったのか。ヨーヨー・マと五嶋みどりは、なぜニューヨークという場所で最高の演奏家としての評価を得たのか。アメリカの現代音楽はどのような経緯をたどったのか。偉大なピアニストたちの演奏の違いはどこにあるのか。黒人の市民権運動ではどのような歌が歌われたのか。斬新な音楽はどのような文化的・社会的環境の中で生まれているのか。ソシュール研究で有名な丸山圭三郎は晩年に西村朗の音楽を評価していたが、それはなぜか。などなど、音楽に対する興味は尽きない。
やがてそれから約3か月間が経つと、私の興奮状態もようやく治まってきた。おおよそ聴きたいCDはすべて聴いた、という気になった。新たなCDを試聴しつづける冒険は、音楽に対する自分の選好を急激に変化させていくという自己変容の冒険でもあったが、その冒険は、ようやく三か月後に減速していった。しかし振り返ってみると、よくもこうした興奮状態が続いたものだ。私は音楽による感性への異常な刺激作用に、自分のアイデンティティが強度の遠心力によって運動しているという快感を覚えていたようだ。アイデンティティへの遠心力は、そもそも私がニューヨークに滞在する一つの大きなテーマであった。そして私の滞在は、その最終段階にきて、音楽によってさらなる遠心力をかけられてしまったようである。
一日に十枚を聴いて、次の日はさらに別の十枚を聴く。そして約三か月で二千枚以上のCDを聴く。この音楽経験は、自分のアイデンティティの一部としてある音楽の次元に対して、進化的メタモルフォーゼを働かせることになった。むろん、短期間で多くの音楽を享受することなどできないと思われるであろう。人間の感受性には限界がある。しかし、感性が異常な興奮状態にある場合、聴けば聴くほど感性が興奮し、感性の襞が異常な発達を遂げていくということが起こりうる。そして私は、まさにこの「感受性の遠心力的進化」によって、音楽と感受性のスパイラル・ループを経験していたらしい。
もちろん、さまざまな音楽を大量に摂取するためには、一定の文化的背景が必要であるだろう。多文化的で刺激的なコミュニケーションによる生活経験の広がりを伴わなければ、およそ自分の人生とは異質で無縁な音楽を享受する気にはならない。私が北海道に暮らしていたころは、例えばブラジルのサンバまでを聴くことはなかった。私の人生とはいかにも無縁だったからである。しかしニューヨークでは、それが自然に享受できるという不思議なことが起こる。自分の中にサンバのリズムがリアリティを持って入り込んでくる。サンバのリズムは人類のリズムであり、多文化主義的な社会環境の中では無縁ではありえないと感じられてくるのである。あるいは他にも、ニューヨークではアフリカ音楽のさまざまなリズムを生きることができるようになる。さらに、韓国人とのコミュニケーションをきっかけに、韓国のハンという恨み辛みに満ちた音楽まで、感情的にシンクロナイズしてくる。こうしてニューヨークに滞在したことが、感性や感情をさまざまな点で刺激するための触媒となった。音楽に対する感性の広がりは、私にとって異文化接触の大きな贈り物となった。
音楽に対する私の冒険は、自分を変えたいという変身願望が先行していたというわけではなかった。むしろ異文化接触が先行して、ようやく音楽も理解するようになってきたという具合である。すでにそのときには、自分というものが、文化的遠心力の先に「前のめり」になった姿勢で進んでいくという生活がつづいていた。もはや自分のアイデンティティは、認知的に安定した静的状態として存在するのではなく、まるで動物的野生に導かれたような、聴覚の動的な襞として動いてしまう。聴覚の野生が、みずから踊りだしてしまう。そうした「知覚し得ぬが聴覚しうるもの」として、自分のアイデンティティがすでに変貌自在な野生を組み入れていたのであった。
知覚しえぬものとして存在することは、一つのオルギアであり、祝祭である。しかし祝祭は、エネルギーの減退からいずれ減速せざるをえない。私の音楽経験においても、約三か月後になって、その動力は弱まってきた。一つには、毎日図書館に通うことの体力的・規律的な辛さが貯まってきたらしい。もう一つには、おおよその多種多様な音楽を一通り聴いてしまったという実感があるのかもしれない。こうして二〇〇二年の四月中旬にもなると、音楽に対する私の意気込みは減速した。遠心力が弱まったということは、しかしある種の挫折感を伴っていた。これ以上新たな音楽を聴いても、それを感受できなくなってしまうというのは、なんとも悲しいことではないか。ある日私は、エルガーやブリッテンの交響曲を聴いた時に、生理的に受け付けないものを感じてしまった。なるほどこれらの交響曲は、私の感性にとって無縁のものではない。その叙情性を私は美しく思うことができるはずだ。もう少し時間を置けばよいのであるが、しかし今は生理的に受け付けない。ここにきて私の感性の襞は、炎症を起こしてしまったようである。
エルガーやブリッテンだけではない。この他にも、受け付けない音楽のジャンルがいくつかあることが分かってきた。例えば、一九五〇年代アメリカのTV番組音楽。ビートルズ以前のアメリカ大衆音楽は、悪いわけではないが、しかし青年期に自分は、「これは親の世代のカルチャーであって自分たちの世代のカルチャーではないから否定しなければならない」というような、意識的・無意識的な抑圧の経験をしているように思う。そうした抑圧の経験が邪魔して、私はまだこの歳になっても、自分の感性を解放して自由に音楽を享受することができないでいることを知った。
あるいはまた、サウジアラビアなどの中東の砂漠における吟遊音楽。パキスタンやエジプトのイスラム音楽までは享受できる。コーランの朗読も音楽的に美しいと思うようになった。(コーランのCDもたくさんの種類がある。はたしてどれだけ聴けばよいのか、という問題も深刻であった。私はとりあえず二枚をダビングしたが、二〇枚以上のCDがあるのだ。)しかし他方でなぜ、サウジやイランやアフガニスタンの音楽は、なかなか自分の感性に響いてこないのだろうか。砂漠生活の悲哀を歌うものに対して、まだ文化的な理解力が足りないようである。この他に、アメリカにおけるカントリー音楽やブルースのルーツとなる一九世紀から二〇世紀初頭にかけての音楽も苦手である。その理由はもしかすると、アメリカの貧しさや歴史的背景を私が見ていないからだろうか。これらの音楽のメロディーは、それがロックやポップスやジャズに組み入れられた段階ではとてもすばらしく聴こえるのに、なぜかそのルーツ音楽を享受できていない。なるほどバンジョーだとか、ミシシッピーで発達したカントリー・ギターのルーツはすばらしいと思えるのだが、その他の地域のものが苦手である。
こうみてくると、私の遠心力の限界は、主としてアメリカ文化の求心力のうちにあるということが分かる。一九世紀から二〇世紀中ごろまでのアメリカ音楽は、どれも総じて受け付けない。カントリー、フォーク、ジャズ、ミュージカル、クラシック、TVなどのショービジネス音楽、映画音楽。これらはアメリカの過去の繁栄を象徴するものであり、私の中では文化的に乗り越えられるべきものとして抑圧されている。それだけではない。アメリカ人の保守的で愛国的な情緒にたいする拒絶反応というものが、私の中にあるようだ。ニューヨークはすでに、白人中心の大衆文化からずいぶん遠いところにある文化的多元主義へとメタモルフォーゼしてしまった。こうした社会変容に伴う抑圧構造の変化もまた、私の感性を束縛しているのであろう。
経済的な制約にとらわれずに自由に音楽を聴くことができるとすれば、音楽趣味に対する選好形成はいかに変化するであろうか。ニューヨークに来る以前の私は、たいてい二か月に一回、東京渋谷のタワー・レコードに立ち寄って、約三時間を費やして新譜のCDを試聴し、その中から気に入ったものを数枚買うことにしていた。とくにジャズやクラシックのCDを中心に、五〇枚から一〇〇枚程度を試聴して、その中から気に入ったものを買っていた。CDを購入するかどうかは、その音楽をどの程度まで気に入るだろうか、という自分の将来選好に対する推測に依存する。またそれは、わざわざ二千八百円を出してまで買う価値はあるのか、というコストの問題にも依存している。そこで実際には、予算制約を考慮して、いくつかのCDに対する自らの選好形成を諦めるということになる。しかしニューヨークでは、こうした予算制約にとらわれずに音楽を享受することができた。このことは、「予算制約下におかれた文化的選好形成」の心理というものに、おおきな反省と発見をもたらした。
例えば、予算制約のために、あるCDの購買を諦める、という判断を考えてみよう。この意思決定は、たんに「あらかじめ明確に定められた効用関数」と「予算制約」の関係によっては捉えられない現象をもたらす。あるCDを買う価値がないと判断する場合、その判断にはたいてい、別の判断が伴っている。意思決定は、それが基づくべき予算制約と選好関数の両方を、その場で決めるという判断を伴っている。予算制約はある程度までフレクシブルであり、また自分の選好もあらかじめ規定されているわけではない。そうしたなかである種の意思決定をするということは、選択の制約条件を決めるという別の判断を伴っている。例えば「このCDを買わない」という意思決定は、選択のボーダーにあったCDを選択の圏外に追いやり、その価値に対するネガティヴなコミットメント(剥奪作用)を、自らの主観に施すことになる。すなわち「それはやっぱり聴く価値がないCDだ」という具合に、否定的な「意味」を追加的に与えて判断するのである。買わないものに対する価値の否定という現象は、ジョン・エルスターのいう「サワー・グレープ」だ。つまり、この商品を私は欲しいと思うが、しかし制約があって獲得不可能となれば、それに対する自分の選好を変更して、「やっぱりそれは価値がないものだ」と評価するに至る。こうしてCDの購入においても、買えないとかアクセスできないという理由から、その価値を「否定する」という意思決定の心理劇が起こる。そしてその結果として、予算の範囲内でしか自分のアイデンティティや個性を形成しないという「けち臭い選好形成」が起きることになる。
しかし、予算制約がなくなってみれば、つまりどんなCDでも自由に聴けてダビングできるということになれば、サワー・グレープのようなつまらない「選好歪曲現象」をする必要がなくなる。予算に縛られることなく、音楽を自由に享受できるようになる。私はこれまで、自分の予算制約が理由でいかに多くの音楽を断念してきたかを思い知らされた。断念したCDは、断念したがゆえに聴く価値があまりないものとして判断されていたのである。しかしニューヨークに滞在して再度そのCDを聴いてみると、それらはどれも、とてもすばらしい芸術作品ではないか。予算制約がなくなれば、あれも聴きたい、これも聴きたい、という欲求が抑えられなくなる。と同時に、どこまで私は音楽に対する感受性を持ちうるのか、ということが知りたくなる。膨大なCDのなかから、私はどのように自分の選好を決めるのか、またいかに選好を形成していくのか、という問題が、新たな問題となった。
音楽のみならず、およそ自分のアイデンティティとは異質の文化に触れる体験においては、「出会い」というものが大切となる。およそ人間は、出会う範囲でしか文化に対する選好形成をしないものだ。出会いによってはじめて、異質な価値へのコミットメントが生まれる。出会いはまさに、異文化体験の基本にして本質である。出会いがもたらす選好形成の効果は、ちょうど「サワー・グレープ」とは逆の現象であると言えるだろう。「買えないもの・獲得不可能なもの」にたいして人間は、否定的な選好を形成しようとする。しかし逆に、「買ったもの・獲得したもの」に対しては、「よさそうだから買った・買ったからよいと思う・買ってよかった・これはすばらしい価値をもっている」というように、肯定的な価値を付加していくスパイラルな心理現象がみられる。わざわざお金を出して買ったのだから、それに値する効用と価値があるはずだ、と自分に思い込ませたり、こういう場所でたまたま出会うことができたのだから、私の人生にとってかけがえのない価値があるに違いない、と自分に思い聞かせようとしたりする。そのような思い込み(コミットメント作用)を重ねることによって、自分の選好形成はダイナミックに形成されていく。
言い換えれば、およそ選好評価というものは、コミットメントの作用が先行しており、買ったり出会ったりしたものに対して「経路依存的」となる。そしてそれぞれの場面において、出会いと感受性の発達は、スパイラルな弁証法を繰り広げる。問題は、予算制約がある場合とない場合とで、音楽に対する選好は、どのような経路依存性の違いをもたらすのか、ということだろう。CDに対する選好形成は、まず「買ったからよいと思う」という現象から、「出会ったからよいと思う」という現象に変化する。このCDに出会うことができたのだから、私はこの価値を享受できるはずだ、と自分を思い込ませるようになる。では、なぜこうしたコミットメントが生じるのかといえば、およそ選択のメタ・レベルにおいて、次のようなことが起きているのであろう。
買っていないCD・出会っていないCDの中にも、よい音楽はたくさんあるはずだが、それらの価値を私はまだ評価していない。できれば、いろいろなCDを聴いてから自分の選好を形成することが望ましいのであろうが、そのときまで自分の選好形成を留保することは、選好形成そのものを育んでいくという生活の過程を削いでしまうことになる。「他のCDのほうがよいかもしれない」という推測は、今聴いているCDに対するコミットメントを削いでしまい、評価のために必要な実践の次元、すなわち「のめり込みによる享受」という重要な契機を失うことになる。結果として、評価に対する態度留保は、評価能力を浅薄なレベルに置き去りにしてしまう。こうした評価能力の浅薄さを回避することは、選択の背後にある重要な文化的衝動であるだろう。
音楽に対する選好や評価能力が自分のアイデンティティの一部であるとすれば、アイデンティティはCDの購買や出会いというものに、決定的に依存する。予算制約がなく音楽を聴けるようになると、いったい私は、自分の文化的感受能力を試されているような気がした。はたして私はどれだけ音楽を感受できるのだろうか。一生のあいだにどれだけ感受することができるのだろうか。なぜだか、ある種の義務感と使命感みたいなものが湧き上がってくる。これはおそらく、ニューヨークのような多文化的なところで暮らすことから生じる「文化規範」なのかもしれない。どれだけ多くの文化を理解できるのか、という問いが、規範として感じられるのである。図書館を通じて音楽を自由に聴けるのであるから、聴かないうちから理解できないと拒絶するわけにはいかない。近所に暮らすさまざまな民族の文化に対して、理解しなければならないという生活的・文化的に要請が、暗黙のうちに身体へと伝わってくる。およそニューヨークは、自分のアイデンティティに対して遠心力を働かせる場所である。遠心力の運動こそが都市の生態であり、人々の暮らしの動力である。そうした動力に突き動かされて、音楽による文化理解という感受性が自然と広がっていくと同時に、文化理解という理念が一つの生活規範として作動している。
無論、あらゆる文化に対して等しく理解を示そうという企ては、意味がない。あれもこれも聴くという態度は、自分なりの選好形成をしていない、という意味にも受け取られる。「何でも聴きます」というのは、どんな音楽もシリアスには受け止めていない、ということだろう。あれもこれも聴くというのは、選好の洗練化とは関係がない。多くの音楽を欲するが趣味が鍛えられていないというのは、さまざまな料理を好むが美食家ではない、というに等しいだろう。しかしそうしたタフでガツガツした人間に、私はまだ出会ったことがない。
ひと昔前になるが、音楽の教養というと、バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブラームスについて、一通り語れるようになることが重要だった時代がある。そうした音楽を享受し語ることは、エスタブリッシュされた知的・文化的世界に参加するための、共通のコミュニケーション・ツールであったのかもしれない。しかし、エスタブリッシュされた音楽を聴くことは、発展した高度資本主義段階においては、文化のダイナミズムと両立するどころか、かえって新しい文化的躍動を挫いてしまうような保守的心性を生み出してしまう。現代の教養とは、そうした保守的エスタブリッシュメントにアクセスするための基礎的訓練といったものではない。現代の教養とは、新たな文化的ダイナミズムを理解するための野性的直感を養うような、アヴァンギャルドで飛び抜けた文化的享受力一般を求めている。そうした享受能力の陶冶は、保守的エスタブリッシュメント一般を破壊していくような作用をもたねばならないであろう。
より正確に言えば、現代社会においては、あるエスタブリッシュメントに対して別のエスタブリッシュメントが対抗しており、そうした諸々のエスタブリッシュメントが拮抗する中で、そこから生じるダイナミズムをいかに理解するか、またいかにして新興するエスタブリッシュメントを称揚していくか、という問題が、文化のダイナミズムを促進するための中心問題となっている。問題は、いわゆる教養としての音楽ではなく、諸文化が拮抗する中で、意義深い文化にコミットメントしていくための道筋である。
そうした環境の中では、「あえて聴く」という態度がぜひとも必要であろう。時代の雰囲気に身をゆだねてマス・メディアに流れる音楽を聴くというのではない。マス音楽の摂取は、危険でさえある。それはアイデンティティのアモルフな集団的拡張となり、時として排他的傾向(共有しない他者への集団的な敵対視)をもつことがあるからだ。あえて別の音楽を聴くことは、自分の生活に「遠心力」をもたらすことに他ならない。新たな音楽の発掘は、遠心力の冒険であり、既知の現実とは異なる虚構の次元に、感性を解放していくことである。感性の解放は、鬼才が担う重要な役割だ。鬼才を発掘し、鬼才にコミットメントして、その感性から刺激を被ること。鬼才の力によって自分の人生に奇異な緊張感を与えつづけること。そして自分の人生の幅に遠心力の拡張作用を与えつづけること。理解力の限界に挑戦しつづけること。こうした企てこそが、現代社会における文化的ダイナミズムを担うための潜在力となりうるのではないか。
この点で、音楽セラピーの基礎的な内容は、あえて知っておくべき一つの実践であるかもしれない。音楽セラピーとは、たんなる癒しではない。それはトランスパーソナルなコミュニケーションの感動であり、言葉が力を失うところで、生命の力を開示していく経験である。音楽だけではない。一般にコミュニケーションにおいて私たちは、言葉が通用しなくなるところで、いかに品位ある文化的感受性を持ちうるのか、ということが問われている。私たちは理性と恐怖の二分法のもとに、理性的な言語が通用しなくなる領域には近寄らない、という態度をとってはならないだろう。言葉が通用しなくなる限界で、さまざまな実践の価値を経験していくこと。音楽セラピーに関する知識は、そうした経験の感動を純粋なかたちで教えてくれる。
音楽には純粋な感動がある。美的体験の喜びがある。また自分の生活を独自のリズムで包んでくれる。人生はその本質においてリズムである。独特の波長によって生きられた人生こそがリアリティであり、波長を離れた知識はすべて虚構であるといっもよいほどなのだ。リアリティの探求は、知識におけるさまざまな可能性の探求ではなく、実践におけるさまざまな可能性の探求でなければならない。リアリティがもつ力は、認知それ自体のポテンシャルではなく、コミットメントの次元におけるポテンシャルである。それは「存在の野生」であり、私たちはその野性的感覚をいかに強化していくかを企てなければならない。
そのためには例えば、次のような仮設的思考実験も必要であろう。もし自分が中国人であったら、こういう表情をしていただろうとか、あるいは黒人であれば、こういう顔をしていただろう、という想像力を働かせてみると、その文化に対して、一定の社会参加的なパースペクティヴをもって接することができるようになる。こうしたパーソナリティへの想像力は、文化に内在した理解を大いに助けてくれる。音楽においてもまた、その文化のどのような傾向の音楽を聴くかは、「自分はもしかするとこのような人生を生きたかもしれない」という可能性を、パーソナリティの問題として真剣に受け止めることが重要だ。もし自分が中国人であったら、こういう音楽を聴いていただろう、という想像してみる。あるいは、もし一六世紀のオスマン・トルコ帝国に生まれたら、自分はこういう音楽に惹かれていたであろう、と想像してみる。このように、他でありえた可能性を探求することは、自分のアイデンティティの幅を「可能性(ポテンシャル)」の次元において広げてゆく。コンティンジェントでハイブリッド、そしてリゾームのようなアイデンティティの形成は、こうした想像力によって強化されうる。
アイデンティティの拡張は、しかし、いわゆる浅薄なワールド・ミュージックによっては拡張されえない。ワールド・ミュージックには、個々の音楽がもつ文化的な土着性を消し去って、他の文化圏の人々にも受け入れられるように、普遍化したアレンジと音作りのものが多い。しかしそうしたものはまったく魅力に欠ける。音楽においては、文化的に埋め込まれた要素を残したまま、感性がその文脈に入り込んでいくという、感性の遍在的な移動が必要だ。普遍的で人々が共有し得るレベルに自分の感性をシンクロナイズしていくのではなく、個々の文脈に入り込んで変幻自在に感性を躍らせることが、真に豊かなアイデンティティの拡張となるであろう。
すぐれたアイデンティティとは、一定の選好を「合理的」に形成することではない。例えば一万枚のCDに対して自分の好みの順位(選好順序)を形成することでは決してない。合理的な選択主体の能力を鍛えるという理想ほど、貧困なものはない。重要なのは選好の順序ではなく、強度をもって音楽を摂取していくという遠心力だ。一〇〇万枚の中から一〇万枚の選好をもとうとすること。あるいは一〇万枚のなかから、一万枚の選好を持とうとすること。一つのジャンルだけでは、一千枚程度の選好形成をすることしかできないかもしれない。しかし手当たり次第に聴いて、大量のコミットメントを経験していくならば、選好は意図せざる進化を遂げていく。感受性が進化していく中で、自分の中に新たなモメントが発見されていく。重要なのは、「今何を聴くことが最も効用を満たすのか」について確実な効用関数を知ることではなく、そうした効用関数がもはや分からなくなるところで、つまり大量の情報と複雑性の中で、音楽に対する感性の襞を解放=成長させていくということではないだろうか。
むろん、音楽的感性を解放するためには、感性を挫く音楽に多く出会う、という不毛な経験が伴う。いったい音楽を享受するという即時的な贅沢は、いかにして磨いていくことができるのだろうか。料理や絵画や文学などと同様に、音楽に対する欲求と選好形成と、そして評価・鑑賞していく能力の相互関係をどのように構想していくべきだろうか。この問題は、なるほど各人の問題であると同時に、文化的コミュニケーションの質を高めていくという社会の問題でもある。音楽的感性の陶冶を文化資本として認知していくならば、それはやがて、文化と経済の両方において、創造的なダイナミズムをもたらすであろう。およそCDを図書館で貸し出すことの背景には、音楽に関する感受性の陶冶というものが、社会的なダイナミズムを促進する要因であるという理解がなければならない。日本においても、そうした社会環境をいかに形成していくか、ということが問題となりうるだろう。
異質な音楽を摂取するという遠心力の経験は、私たちの文化的経験の幅を広げ、また内なる感性を磨きつつ、結果として文化のダイナミズムを促進する。そうであればある種の音楽は、公共の図書館その他を通じて自由に貸し出されるべきであろう。日本の公共図書館においては、ぜひ音楽資源を充実させていただくよう呼びかけたい。多くの日本人にとってクラシックや民族音楽は、小学校・中学校における音楽の授業を通じて、わずかに理解されているにすぎない。また日本の民族音楽に至っては、学校ではほとんど接触する機会がないというのが実情である。グローバルでローカルな文化をダイナミックに促進するためには、既存の学校経由の音楽資源では足りない。むしろ公的な音楽資源を学校の音楽室や視聴覚室から解放し、音楽はとりわけ図書館を通じて、生涯教育の資源となることが相応しい。
音楽の摂取が社会的に奨励されるならば、それはやがて豊かな文化的創造の基盤となり、人類の財産を飛躍的に増進するにちがいない。またそれは、決して経済的な効果を損なうものではない。ある種のCDの貸し出しは、その種のCDの売り上げを落とすものではなく、かえって人々の文化的消費財への欲求を形成するであろう。すぐれたCDを聴く機会は、音楽に対するコミュニケーションを会話に流通させ、「もっと聴きたい」「音楽について語りたい」「演奏したい」という欲求を生み出していく。またすぐれた音楽CDの貸し出しによって人々は、音楽に関わるさまざまな消費を高めるであろう。例えば、よりすぐれたステレオや楽器の購入、音楽関係に関する書物や雑誌の購買、コンサート(音楽会)やカルチャー・センターへの参加など、いろいろな分野において経済的な波及効果が見込まれる。またCDを借りる人が多い地域では、音楽演奏家たちの活動に対するニーズが生まれ、高い鑑賞力の下に、演奏家たちの意気込みを掻き立てるであろう。そしてそれは視聴者と演奏家の両方において、人々の美質を養うことに寄与するであろう。あるいは図書館にすぐれた機材の試聴コーナーを設けることは、ラジカセではそのよさが分からない音楽(クラシックや民族音楽)に対する感受性を高め、結果としてすぐれたステレオ機材に対する需要(またテレビにおけるすぐれたスピーカーへの需要)や、土着音楽への関心を掻き立てるであろう。すべてこうした波及効果のために、音楽資源を公共図書館に設けることは文化的・経済的な初期投資の意味をもっている。
とりわけ民族音楽CDの貸し出しは、地域の振興を考える上でも重要な効果を発揮するに違いない。民族音楽や地方色の強い音楽を多く知ることは、各地域に暮らす人々の文化的表現欲求を刺激する。人々はそうした音楽演奏を日々の生活の中に取り込み、また自分の地域や文化圏を表現する新たな音楽を生み出したいという希望を与えられるであろう。例えば北海道のイメージは、さだまさしの「北の国から」のテーマ・ソングによって代表されているが、こうした地方の叙情性を表現する音楽というものがもっと多く生まれるならば、それらは文化資源として、また観光資源として、すぐれた社会的役割を果たすに違いない。その音楽を人々が享受し、またさまざまな社会的場面(テレビ・ラジオ・フェスティバル・各種の施設など)において地方色の強い音楽が利用されていくならば、文化の脱中心化と地方興隆が同時に進行するであろう。あるいは日本を代表する音楽として、津軽三味線や沖縄民謡、さらに舞踏音楽や現代雅楽のような音楽に触れることは、人々が新たな創作活動を始めるためのすぐれた文化資源となりうる。現在、日本の民族音楽はさまざまな実験を繰り広げながら多様に展開している。そうした事実を多く知ることは、各地域においていっそう多様な文化的発展を刺激するであろう。すべてこうした文化的活動のために、ある種の音楽に対しては、公共的な支援によって容易にアクセスできるようにすることが望ましいと思う。
とりわけ図書館の利用価値は大きい。地方の公共図書館は、地方文化を担うための中心的な機能を担っている。地方を文化的に魅力的にする人々は、その土地に暮らす画家や小説家だけではない。音楽家の活動もまた図書館を通じて伝達されなければならない。例えば、音楽家たちの自作CDを貸し出したり、その楽譜を貸し出したり、作曲コンクールや演奏会を行なうならば、やがてそこからすぐれた音楽家たちが生まれるであろう。およそ文化に対する支援は、人間の美質を成長させるための希望を掲げて、地方文化の成長可能性を開くような要素をもたなければならない。地方文化の担い手は、何もその土地に精通している人というわけではない。音楽に関して言えば、期待すべきその担い手は、さまざまな音楽に触れて、自分のアイデンティティに豊かな遠心力を働かせる人であり、またそうした遠心力を経験した人こそが、今度は逆に、地域文化の強力な求心力となる作品を生み出すことができるはずである。およそ文化的な遠心力のないところに、地域文化をダイナミックに創造していくという求心的な欲求は生まれにくい。中央主導の文化から脱中心化された地方文化を育てるためにも、図書館における音楽資源の充実を訴えたい。